水頭症や障がいがあっても まじめに元気に!

障がいを持った20代女性です 水頭症という人とちょっと違う病がありますが、まじめに元気に生きてます 私の元気を同じような悩みを持つ人に分けてあげます 人生悪いことばかりじゃないよ

どんな状況でも希望はゼロにはしないで、誰でも誰かの支えになれる! ~辛く苦しい時もあるけれど、乗り越えれば自分の誇りになるし周りの人達の励みにもなるよ!~

私は中学生時代演劇部に所属しており、その頃から小説家の真似事みたいに思いついた架空・空想・妄想話をノートに書いていたから、またやってみようかな~と思う時がある。

今は教科書やノートも端末化になって色々進歩しているけれど、やっぱり〔書かない・使わないと覚えられない!〕という場合も出てくるかもしれないでしょ?

色々変わっているのはいいと思う。けれど慣れないと変化には対応するのが遅れるよね~?人それぞれ考えや気持ちが異なるように物事に対する対応力も違うんだから・・・。

私も色々な人から色々な場面で学ぶ事がたくさんある。

例えば、私が書いているブログに《いいね評価》がないと、「読者の皆様にはどんな文章が読みたいんだろう?」とか、「このブログの内容のどんなところが良かったんだろう?私が思っている事を書いているだけなのに」と思う事もあれば、「ブログは誰もが自由に読むものだし、評価をするのも読者の皆様の自由だし・・・」と割り切っている私も存在している。

自分の好きな物事なら楽しくやりたい!この気持ちは誰にでもあると思うし、存在していい感情だと思う。けれど、時には我慢も必要だと思う。我慢の期間が長いとストレスになり、更に深刻になると病気に発展したりする場合がある。病気になってさらには『入院治療』となると、自分の好きな物事をする時間が減ってしまい、更にストレスになる場合もあるかもしれない。

だったら、自分が「やってみようかな~」とか「やってみたい!」って思う事をやってみようよ!と私は思う。

私も誰にも見せないけれど架空・妄想・空想話を書いてみようかな?

仕事ではパソコンを使って終了時間まで作業しているけれど、パソコンに書いて残すのとノートに書いて残すのでは何か違いがあると思うし、そういう違いを楽しむのも【新しい楽しみ方の誕生!】なんじゃない?

まだ、やってみようかな?と思うだけで、やる!とは確定してないけれど、思うだけでも別にいいよね?

自分が好きな事・得意な事はまだまだ他にもあるし、もしかしたらそういう物事が他に活かされ、誰かの役に立ち、感謝される日がくるかもしれない。そういう日はなかなかこないけれど、感謝の評価や一言があるだけでも、お互い気持ちは変わってくるよね?!

例えば、教えた側の人達は「あっ、これは私が教えてあげた!こんなところで活かされているんだ~」という気持ちが生まれるだろうし、教えられる人達は「こういう事もあるんだ~。知らなかった~。やっぱり色々な人との交流って大事だな~」と思うかもしれない。

上記に書いた思いは私が一例として書いただけなので、全く同じ思いの人はいないと思うけれど、似たような考えの人はいるかな?(笑)

皆さんや私にいい事がたくさんありますように。

笑顔で幸せを呼ぼう!